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戦場の鳩たちA

 硫黄島を失い、沖縄も攻略され、台湾が孤立したため、兵員の充足と戦闘序列の下令で私は敢兵団(六十六師団)歩兵三〇四違隊通信中隊の所属となった。
 九月上旬、教育途中で原隊復帰を命ぜられ花違港に帰ってきた」鳩舎の拡充、鳩兵の教育、鳩の購入、演習が日々行われ、鳩班長、班付上等兵も着任し、私は上等兵と組んで鳩通信網構成のため近隣の町村から、初めて、片遺七十キロの範囲の放鳩訓練を始めた。  鳩籠をさげて、町を行く姿はおよそ近代戦の兵士とは見えなかったが、どこへいっても大切にもてなしてくれた。
 列車に乗り、バスに乗っても鳩の世話はもっぱら私が行い、一泊訓練では旅館や駐在所にご厄介になって地方人の生活を思い出した。
 戦局はますます非となリ、山間に洞穴を掘って陣地構築を始めた。三大隊の駐屯していたエカドサン社(高砂族の集落)に派遣され、ここに鳩哨を開設し、訓練を行った。
 同年十月のある日、朝から近くの飛行場にアメリカのグラマン機の奇襲を受けた。爆弾の破 裂音と火炎がちょうど駐屯地の近くであり、住民の動揺、部隊の応戦準備として山麓への退避、洞穴陣地による抗戦と、あたりは修羅揚と化した。
 連隊本部との連絡に、鳩哨である分隊長と私に大隊長から呼び出しがあリ、通信紙に書かれた状況報告が渡されたので、別の和紙に転写してこれを二羽の鳩の脚に結ぴつけ、本部から放鳩した。
 この報告は無事連隊長に届き、あとで中隊長を通じお誉めをいただいた。
 台湾沖航空戦の余波の攻撃で、一時は上陸必至と覚語していたが、そのこともなく済み、安 堵した。その年の暮れに私は幹部候補生を志願して軍鳩班を去ったが、.戦後の今でも鳩の相手をした三カ月余の生活を思い出し、平和のしるしとしてたたえられる鳩を見るのである。


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