鳩レースと私


 私が、レース鳩を初めて飼育したのは、昭和57年 高校2年生の時でした
 それまでも、レース鳩を飼ってみたいと考えていましたが、近所の小鳥屋で聞いても、鳩を売っている店はどうしても判りませんでした。
 そこで、日本伝書鳩協会に手紙を出して、紹介いただいたのが、当時協会常任理事をされて いた故山下鉄夫氏でした。山下氏は日本最古の系統である勢山系の継承鳩舎として活躍されており、鳩作りのマイスター(職人)と呼ばれている人でした。
 私は、何も知らずに、白鳩を1羽買うつもりでセキセイインコ等の小鳥を入れる籠を持って、お伺いしたところ、「鳩はそのように扱うものでは無い。」と一喝されました。
 その時、2ペアーの鳩をいただきました。私は正直、「1羽でいいのに。」と考えたのですが、籠の件もあり、そのまま帰りました。
 多分、山下氏は、何も知らない私に交配、作出、育成、訓練といった鳩飼育の基礎を教えたかったのではないかと思います。先述の2ペアーの内訳が長手の灰刺、逆三角の黒胡麻、逆三角の灰、長手の灰胡麻であったことからの想像ですが・・・・
 大学に合格するまでは、自転車の荷台に放鳩籠を乗せて、10キロ程度の訓練をして楽しんでいましたが、高校3年の2月、大学受験を終えた私は、初めてレースに参加しました。スタート 2羽でしたが、300キロを帰ってきました。その感動はレースに参加した人には、判っていただけるものと思います。
 ところが、新人の学生が簡単に優勝できる程、レースの世界は甘くありません。親子以上に齢の離れた大人のベテラン鳩舎が沢山いるのです。初めて上位入賞の賞状をいただくまでに、2年の時間を要しました。その鳩は、クラブの先輩が作ってくれた1/2勢山の鳩で、今から思い出しても、腰のしっかりしたよい鳩でした。鳩を作って下さった先輩鳩舎には、今でも深く 感謝しています。
 やがて、社会人となった私は、鳩飼育と仕事の両立に疲れを感じ始めます。残業で不規則な 管理では、鳩はうまく飛びません。ますます成績は下降していきます。
 そこで、鳩人生を賭けた最後の大勝負、管理を自由舎外に切り替え、夢をかなえたことは、以下のページのとおりです。
 あまり強くない私ですが、私のこれまでに繰り返してきた圧倒的に多くの失敗と、ほんの一握りの成功を 隠さずに発表したいと思います。
 初心者の方、行き詰まっている方、方向を模索されている方 の何かの参考になれば幸いです

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